映画『家族の風景』

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2020-10-06 16:00:00 〜 2020-10-13 15:59:59
監督:佐近圭太郎
俳優:佐藤まり
MC:君島光輝
Asst.:高井真菜

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作品情報

佐近圭太郎(監督)

1990年生まれ、千葉県出身。監督・脚本・プロデューサー。株式会社Tokyo New Cinema所属。日本大学藝術学部映画学科監督コースを首席で卒業。池松壮亮主演の卒業制作『家族の風景』(13)が、TAMA NEW WAVE映画祭特別賞・主演男優賞、福岡インディペンデント映画祭最優秀作品賞・主演男優賞など、多数受賞。モスクワ国際映画祭国際批評家連盟賞を受賞した中川龍太郎監督作品『四月の永い夢』(18)では助監督を務める。以後、『わたしは光をにぎっている』(19)『静かな雨』(20)など、中川作品で監督補佐を担当。

「家族の風景」

フリーライターとして働く隆史(池松壮亮)は、母親(佐藤まり)が階段を踏み外してケガをしたという知らせを受け、実家に戻ることになる。当初彼の目には父親(中島茂和)も、松葉杖をつきながらも相変わらずな母親(佐藤まり)も以前と同じに映っていた。だが、隆史が家を出てから家族の関係は昔とは何となく変わっていて……久しぶりに郷里に戻ることになった主人公を取り巻く、家族の風景を描いた作品。

出演者

監督 佐近圭太郎
俳優 佐藤まり
MC 君島光輝
Asst. 高井真菜
 

QUESTIONNAIRE

1.この映画を撮ったきっかけはなんですか?
日本大学芸術学部の卒業制作として生まれた作品です。あくまでも実習なので、自身が提案する企画に対し、担当指導員(教授)の了承をもらう必要がありました。僕の指導を担当してくれた古厩智之監督が、「本当にいまの佐近がやるべき企画なのか?」という点を真剣に考えてくれ、いくつか提出した企画がことごとくボツとなっていきました。ちゃんと心で描いている作品なのか?を妥協せずに見定めてくれていたのだと認識しています。
アイディアは枯渇し、追い込まれた末に辿り着いた答えが「自身の半径1m以内である””家族”」をテーマにした映画を作ることでした。自分がこれまで見てきた「家族」の物語を作ろう。主人公を始め、登場人物はすべて自分を含めた実在の家族をモデルに。こうして、「家族の風景」が誕生いたしました。

2.影響を受けた作品・監督はいますか
脚本家・山田太一作品「岸辺のアルバム」「ふぞろいの林檎たち」
大学の入学試験の課題で出会った、是枝裕和監督の「歩いても歩いても」

3.普段どんな時にアイディアが生まれますか
自分の心が動き、強く惹かれる映画を見ている時。
テーマやモチーフに関係なく、アイディアが溢れ出て湧き出てくることが多いです。

4.作品へのこだわりがあれば教えてください
「動きをつけるのが演出だ」という教授から言われた言葉を手がかりに、板付き(役者が座ったり、立ったままで動きのない状況)のお芝居の際に常に何かしらの動きをつけようと心がけました。

5.今回の作品で一番苦労した点を教えてください
映画を作ること自体がほぼ初めてだったため、何もわからない中で走り続けることが一番苦労しました。

6.今後どのような作品を作っていきたいですか
やりたいことよりも、自分ができること、やるべきことを見定め、少なくとも「この映画が”無い世界”よりも”在る世界”の方が観客(社会)にとって豊かである」と思ってもらえるような作品を創りたいです。

7.撮影現場について、スタッフ・キャストとのコミュニケーションはどのようにとっていますか。
“多少の無理をしてでも欠けさせてはならない要素、作品全体を良くするために妥協すべき要素をスタッフと相談しながら精査するように心がけています(体現できているかどうかは別としてですが。。。苦笑)。
キャストの方とのコミュニケーションついては、対話し過ぎることで生じるリスクより、対話が少ないことによって生じるリスクの方が圧倒的に高いため、事前に”過剰なくらい対話を重ねるべき”と最近考えています。

8.壁にぶつかった時の乗り越え方を教えてください
壁を超える方法が直接的に見つからなくとも、どうやったらその壁を超えられるかという問いに、どれだけの覚悟を持って向き合い続けたか、その時間と思慮の深さが重要だと考えています。
とにかく今の自分で埋められる外堀を可能な限り埋めていき、自分にできないことはカッコつけずに「できない」と早めに観念して人に助けを乞う「素直さ」と「最低限度の愛嬌(礼儀)」を持つことを心がけています。
自分も含め、責任感が強い自負のある人ほど独りで抱えがちだと思いますが、本当に責任ある行動は「自分が何者であるか以上に、作品をちゃんと成立させること」だとこの歳にしてようやく心で理解し始めた気がします。
嫌でも歳を重ねれば勝手に自分を優先し出すと思うので、未熟であるという自覚があるうちは「自分なんてモノは最後でいい」の精神で、向こう5年は生きてみようと思います。
(自戒の念を込めて、ここに記します、、、笑)